Aburahi Shrine
甲賀の地を見守り、 千変万化の恰好を見せる神社。1100年以上の歴史を持つ、油日神社。そのときどき、様々な人から崇敬されてきました。ときに甲賀武士(甲賀忍者)の集う場所として、あるいは映画やドラマをより楽しませる文化の担い手として。知るほどに、多くの側面を見せてくれるのが油日神社です。
油日神社の起源と歴史
軍神として、油の神様として。油日神社は、日本の古い歴史書『日本三代実録』にも神名を残す、とても歴史のある神社です。油日という地名も、かつてこの地域の山の山頂が光明を発し、油日神が降臨されたことから。この山は油日岳と呼ばれ、油日神社の神体山とされています。
戦乱の世には軍神として、多くの甲賀武士(甲賀忍者)から崇敬されました。現在では、その神名から油を扱う企業からの信仰もある神社です。
甲賀忍者と油日神社
戦乱の世、 甲賀武士たちが集った場所。室町時代後期から戦国時代にかけて活躍したと言われる、甲賀武士(甲賀忍者)。油日神社のある地域一帯は、彼らが多く住んでおり、油日神社は彼らの信仰の中心とされていました。天元元年(978年)より続いているとされる、頭殿祭。そこで行われる「奴振」は、室町期以降の甲賀武士たちによる社参行列を表現したものです。
油日神社の自然
木々に囲まれ、 四季の美しさに出会える。油日神社の周りには、ビルなどの高い建物がありません。現代的な建物がない代わりに、そこをぐるりと囲むのは桧や杉を始め様々な木。日常と切り離された神秘的な空間が、不思議と背筋の伸びるような気持ちにさせてくれます。
境内には、約500年前のままの風景があります。余計なものが見えないからこそ、そこで生まれる自然も引き立つもの。春は桜、夏は青葉、秋は紅葉、冬は雪景色が。四季折々の魅力を最大限に引き立たせる、美しい風景に出会うことができます。
油日神社の建築
ぐるりと囲む回廊が、 自然と静寂の調和を生み出す。油日神社は室町時代から桃山時代(1492~1590年)にかけての建築様式でつくられた神社で、本殿・拝殿・楼門・東廻廊・西廻廊はそれぞれ重要文化財に指定されています。楼門から拝殿、本殿とが一直線に配置されており、その周りを床付きの回廊がぐるりと囲む。これは日本でも大変に珍しいとされています。
高野槇の巨木を始め木々に囲まれた古い建築物が、自然と静寂との特別な風景に調和をもたらす。美しく優雅な空間は、時代劇等映画やドラマのロケ地としても人気です。
油日神社の有形文化財
建物だけではない、往古を偲ぶ品々。建物が重要文化財に指定されていることとともに、油日神社の境内には甲賀歴史民俗資料館があり、そこにも数多くの文化財が展示されています。
白洲正子が魅せられたと言われる福太夫のお面や、ずずい子、甲賀武士の甲冑、古文書など、甲賀地域の長い歴史を感じる貴重な品々が並びます